なぜ勉強するのか?の考え(身近な人)

このページでは「なぜ勉強するのか?」について,身近な人のインタビューを掲載しています。(新しい順)

身近な人のインタビュー

勉強の過程が大切

勉強するという過程が大切だからなのではないかと思います。

「結果が全て」と言ったらそうかもしれないけど,夢や目標の為に めんどくさくても,遠回りでも,きちんと積み重ねる過程が,一番自分の中で意味あるものだと思います。

麺今日の仕方を考えたり,なぜこの答えになるのかと考えたり,,,そんな行為。それが将来,役に立ってくるものなのかなと思います。

<岸信介さん(濱塾生(高1))>

学ぶのは,新しい知識や考えを得て愉しい

なぜ勉強するのか?って問いなんですが、ちょっと言葉遊びみたいになるかもしれませんけど、私は勉強って言葉が嫌いです。実は極力使いたくないと思っています。

勉めることを強いるって、なんか誰かにさせるのも自分がやらされるのも嫌なので。そして、強いていることに、そもそも「なぜ(理由)」って問いかけが正しくないとも思います。だから、答えが出ません。

なので、「なぜ人は学ぶのか?」の方が正しい問いかけな気はします。

これは面白いから、愉しいからだと思います。新しい知識を得たり、新しい考え方を知るのってなんかワクワクするんですよね。私は大学に推薦で入ったんですけど、受験勉強に不快感を覚えちゃったからです。だから、そんな風に勉強って言葉を捉えるのかもしれません。睡眠に関する事や野球に関する事は学んでいるので愉しいですよ。

<ウメナ寝具店長 杉本さん>

自分の過去の苦い経験から

高校受験,大学受験,就職試験,これら全て,第1希望は落ちました。

自分がもっと勉強出来れば,もっと違った選択が出来たのではないかと,今になって思います。

また,人と話をする上で,「話の幅」を広げる必要がある時,知識を付けるべきであったなあと思う事があります。

<アンパンマンさん(濱塾生(中1)の保護者)>

行きたい学校やなりたい職業が明確になった時

行きたい学校やなりたい職業が明確になった時

その目標のために知識や技術を身につけていく過程で感じました。
・音楽教室講師になるための勉強
・お花の講師資格取得のための勉強

<M.N.さん(濱塾生(中2)の保護者)>

寅さんから

「男はつらいよ」で寅さんが語った勉強をしなければいけない理由を知ったとき,なるほどと感じました。

第40作 寅次郎サラダ記念日の中で、甥っ子の光男が寅さんに「なんのために勉強するの?」という質問に寅さんが

「長い間生きているといろんなことにぶつかる。そんなときにちゃんと勉強してない人は、自分みたいに ふったサイコロの目とか、気分で決めるしかない。でも勉強した人は自分の頭で筋道を考えて決めることができる」

と話す場面があります。

<ライオンラビットさん(濱塾生(小6・小5)の保護者)>

仕事に役立ったり,後の自分の自信につながる

文章を正しく理解すること,わかりやすい言葉で相手に伝えること,などの国語の力や,数学や理科で身に着けた順序立てて考えて解決する力などは仕事をする上でも役立っています。

また,受験勉強自体を妥協なく頑張れたことは後の自分の自信になっています。

<レバニラさん(濱塾生(中1)の保護者)>

勉強していない自分と比べて充実した毎日を送れていると実感したとき

①自分の知識(勉強したこと)がだれかの役にたった時
日々仕事をしていると自分の知識をいかに提供しよろこんで頂けるか、お客様の喜びが、私の原動力となり、逆によろこんで頂けていないときは、自分の知識不足を痛感する、そんな毎日です。

②選択肢が広がる
ひとつでも多くの知識が増えると、その分だけ、友人や経験が増えまた、そこからまた、輪が広がるのを感じます。
集中力についての本を読んだら、高濱先生と、共通の話題ができて嬉しい気持ちになり、もっと沢山の本を読みたくなりました!

③{楽しさ・楽しい時間・有意義な時間}をだれかと共有できた時
あるスポーツのルールをまったく知らなかった私が、必要にせまられ、スコアの付けなどを勉強しました。すると、ゲームの楽しさをより理解できるようになり、はじめは難しいと思っていたことが難しく無くなり、嬉しくなりました。

 以上、ほんの些細な、学校の勉強とはつながらないようなエピソードではありますが、学びの枠はとても広いと、日々痛感しています。
 これからの長い人生を子供自身が、よりワクワクしたものにする為に、学びグセとその楽しさをこの濱塾で、身につけてほしいな。と、思っております。

<Hoki Pokiさん(濱塾入(中3)の保護者)>

考えるメガネを得たと感じたとき

例えば,1本のペットボトルに入った水があるとしたとき,何にも学んでいない人からすると「飲めるのかな?」や「いくらかな?」などという疑問が浮かびます。

それに加えて,数学を勉強していると「この水には何ml入っているかな?」とか,「水の上部は円錐で下部は円柱だから表面積は〇〇ぐらいかな,確かペットボトルは石油からできると聞いたことがあるから,石油何mlで1本のペットボトルができるのなかな?」などと図形的な側面からペットボトルを分析することができます。

あるいは,社会を勉強した人であれば「今は水はペットボトルだけれども,過去は同じようなものは何に入っていたのかな?」や「水を買うということはいつ頃から始まったのかな?」などと考えたりするかもしれません。もちろん教科を横断的・複合的に考えることもあるでしょう。

このように,勉強することで,「もの」や「ことがら」を見るときの枠組みとして,つまり考えるメガネを得ることができたときに,勉強したことの意味を感じられた瞬間だなと思いました。

<濱塾代表 高濱良匡>

努力が成果につながったとき(勉強は怒られないゲーム)

勉強は,自分が努力したことに対して,よくできたのか,できなかったのかがハッキリ分かります。その点で勉強はある種のゲームだと思います。

例えば,バスケットボールが上手くなりたいということに対してたくさん努力したとしましょう。その努力によってバスケットボールが上手くなったかどうかを判断することは難しいです。なぜなら対戦する相手によっても違いますし,上手さの見方によっても違います。ある人はドリブルが上手な人がバスケットボールが上手であると考えるかも知れませんし,ある人はパスが上手い人がバスケットボールが上手であると考えるかも知れません。

一方で勉強は,基本的にはテストの点数で善し悪しが決まります。つまり,勉強は他と比べて自分の努力を可視化しやすいものであると思います。また,テレビゲームなどでも自分の努力に対して善し悪しの判断が容易ですが,テレビゲームをたくさんやってしまうと,親に怒られますし,社会的にも良しとされていません。

このように,自分の努力が成果となって現れたときに勉強した意味があるなと感じました。

<濱塾代表 高濱良匡 (が高校生時代に思っていたこと。)>

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